Komoの参戦記録

北京パリモーターチャレンジへの敬意で選んだ車

1929年 戦前のBuick Doctors Coupe

 

北京パリをどんな車で走るんですか?と聞かれることが多いですが、クラッシックカーの世界を知る人以外はみんな「・・・・?」となります。(笑)

そうなんです。37日間14000キロを共に走る戦友は「1929年生まれ」。共に戦う戦友などという言葉ももはや失礼に感じてくる歴史を積み重ねてきたお方。

ドクターという名の通り戦前時代に後方に医療器具を乗せて使っていたという車なのです。

なぜこの車を選択したのか。

当初、北京パリモーターチャレンジを知った時、ただ出てみたい!面白そう!そんな安易なきっかけと思いで振り返ると恥ずかしくなるくらい、こんなにも困難な道がおとづれる挑戦であることは知る由もありませんでした。

イギリスの主催者にお問合せをするも返信はお断りのメール以外返ってきません。何通のメールを送ったかは数知れず、私は直談判にイギリスへと旅立つことになるのです(この話はまた深くお伝えしていきます)。

さて話は戻って、なぜ私たちはこの1929年生まれの戦前のBuick Doctorsをなぜ戦友に選んだのか、実は当初参加しようと決めた時もっと年代の新しいボルボと決めていました。

それだったらこんなに費用もかからず、こんなにも時間もかからずだったかも知れませんが、変更してまで出たいという想いは参加の許可さえも出ない状況の中でこれは執念に変わっていったのかも知れません(笑)。

そのほかの大きな理由は・・「北京パリモーターチャレンジラリーの第一回目当時の年代の車種であり、2019年前回の大会にゼッケン11で出場、完走した車であります。この車で過去完走した経験のある車なのです。

北京パリモーターチャレンジに敬意を込めて

これが最終の理由かも知れません。

何度とないやり取りの中で日本人の参加は2025年にしてくれと言われましたが、私は時間を先延ばしにする選択をなんとか今回の大会に出場させてほしいと直談判に言った際に、この車を選び、敬意を表すこの選択で出場が決まったと言っても過言ではありません。

膨大なオーバーフォール、完走に向けて

今大会の目標は「完走」することです。競技性を重視するよりここに至るドラマを飾るのはパリのゴールにあると目標を定めています。

第一回目の完走車両と言っても、1929年の車ですし、前回大会に14000キロ完走した車、これまで膨大なメンテナンスに時間を要してきました。

中でも2020年から始まった世界恐慌であったコロナ問題。

イギリスのメンテナンス工場は止まり、私たちも車の状態を確認することもできず現在に至っています。しかし、誰もが諦めていません。

工場が再開した時にはエンジンがかかったよ。という動画が送られてきて、今なお毎月少しづつ息を吹き返している状況をお知らせが届きます。

ここにかかった費用は膨大で資金面が底をつき、困難極まりない状況ですが、諦めずにこの車のエンジンかけに行くことを決意しています。

再会ではなく初対面ですが、現地で存分に心を通わせる日を夢見て、2022年6月それが叶いますように。




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