Komoの参戦記録

ロングラリーを乗り越えるためのメンテナンスと戦略〜北京パリモーターチャレンジDAY7

5月24日 DAY7のレポートです。

昨日キャンプ地で本隊に合流できた私たち。
しかし、車両のメンテナンスはまだ気が抜けない。
なぜなら、ゴールのパリまであと30日間もあるからだ。

この1週間は、まるで37日間走ったかのような密度で、体力というより精神的に限界に近づいた。それでも、ここから先の30日間、ロングラリーの過酷さを改めて思い知る瞬間だ。

それでも、なんだか楽しい。ワクワクが止まらない。

私がロングラリーに挑戦しようと決めたのは、過去に参加したラリーが長くても12日間、短いと4日間というもの。ずっとラリーが続けばいいのに、終わった後の喪失感が嫌だった。

今、私は世界最長のラリーである37日間の旅のスタートラインに立っている。
これから8カ国を横断し、まだ見ぬ世界や風景を目にするのが楽しみで仕方ない。
すっかり北京スタートからの暗黒の日々は頭の中から消えている不思議だ・・。

5日遅れて本隊に合流した私たちは、慎重に車両のメンテナンスを繰り返しながら、まだまだ試走を続ける必要があった。

キャンプ地を出発する際、他の車両に遅れを取らないよう、競技時間で定められたスタート時間より少し早めに出発し、念入りにルートチェックを行った。

この日の本隊の競技は砂漠の中がメインになるため、私たちは高速道路を使って最短で負担の少ない道を進むことにした。

ロングラリーでは、競技成績はもちろん大事だが、完走することこそが一番の勝利。

共にスタートから故障続きだったゼッケン6番の戦前車が、今日は一緒に走らないかと声をかけてきた。
彼らは復活してから、競技にこだわらずゴールを目指すという目標で、本隊と違うルートを毎日模索しながら走ってきたという。

砂漠の砂地を離れ、高速道路で快調に連なって走る私たち。
途中の高速道路で休憩を取りながら進みます。

1929年ビューイックと同様にオーバーヒートを繰り返してきた6番の車両は、チリからの参加者で1928年のフォードタクシー。
休憩中、ドライバーのHemanが腰痛がひどいと言い、車両の横に横たわる。

参加者の平均年齢は幅広いが、おおよそ私よりは10歳以上は年上?
唯一日本人の参加者の私は多くの外国人から随分若く見られ子供扱いがなんだか心地いい(笑)

私は英語が得意ではなく、コミュニケーションが難しいので、マッサージで気持ちを伝える。その瞬間、笑顔が生まれ、すっかり打ち解け、「KOMO!」と、しっかり名前も覚えてくれた。
ルートブックとナビゲーションを駆使して進んだものの、ルート上で少し迷い、一緒に進もうと言われた私たちだが、自分たちで決めたルートで6番とは逸れた。

スタート時点からブレーキの効きが悪いことも調整しながら進んできたが、
高速道路ではまずまずの走りができた。

6番のフォードとは逸れたが、私たちは今日一番に目的地に到着。
ミスコースは命取りとなる。

レッカーで運ばれてきた車両も次々に到着していた。

まだ1週間しか経っていないのに、車両トラブルで苦戦しているのは私たちだけではなかった。多くの車両もまだ7日という日々の中で苦戦している・・。

昨日のキャンプ地での興奮と眠れなかった疲れもあり、今日は他の参加者を待たずに
単独で食事を済ませ早めに布団に入った。

続きはDAY8で!




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