今回、私が手術を決断できたのは、現在の主治医の先生との素晴らしい出会いがありました。何度も外来で通った時間、先生とは検査や状態のお話しはもちろんですが、私の人生の目標や夢、やりたいことなど親身になって聞いてくださいました。
「あなたの人生の今という中でメリットに感じる選択を一番にしていこう」
その言葉が私の背中を押してくれました。
高校生の時から乳腺外科の医師になろうと決めて今に至るというお話を聞かせていただいて
その思いの通り、女性の最も大切にしている身体と心に寄り添い、術中から術後の傷のケアまで本当にこの先生と出会えてよかったと思える今があります。
私の癌の治療は今からがスタートです。ここから先も二人三脚で進める希望いただいてます。
セカンドオピニオンの重要性をよく耳にはしますが、それは単に治療方針だけではなく人と人としての信頼感やフィーリングが最も大切だったなっと感じた経験がありました。
私は元々、呼吸器の疾患(非結核抗酸菌症/気管支拡張)があり、小さな病院から大きな病院にかかっていたこともあって、同病院の乳腺外来にそのまま流れた経緯からスタートしました。
そこで出会った最初の主治医は当然の如く、治療優先に話が進み手術を大前提に検査、検査が進みました。
当初から、今は標準治療に入る時期ではないと自分の目標を決めていた私に、「なぜ手術をしないのか」「手術をとにかく最優先で」エコー検査だけで経過観察を続けるだけで・・着れば治ると伝えるいし病院に行くことすら気が重い月日を過ごしてしまっていました。
半年くらい経った時に、胸の痛みを訴えると、
「それは癌とは関係のない痛みで肋間神経痛だよ」そう言って半年が過ぎていきました。
肋間神経痛は整形外科で診てもらってっと言われたので、私は近所の整形外科に行くも、癌の治療中は専門の外来で診てもらってと追い返されてレントゲンすら撮ってもらえませんでした。
その頃には痛みと共に、胸にはエクボ状のものができて、触ると大きな硬いしこりと正面からもわかるほど、ボコボコと骨が突き出てる状態になっていってました。
もう、手術するしかないのかなぁ・・そう思い当時の主治医に術日の決断を伝えた途端
「手術したら痛みが取れたらいいね」・・っと「え?ちょっと待ってください、ずっとこの痛みは肋間神経痛と言ってましたよね?」記録も取ってたはず・・先生は責任逃れのように
「もう、看護師とお話してください」っとカーテンの奥に消えていったのでありました。
そこで、涙涙にこれまでの思いを聞いてもらったわけですが、
その日から、私はやっぱり無理だ!この先生には託せない!
これまでの違和感が一気に確信的な思いに繋がって私は、病院へ行くことをやめたのです。
それから3ヶ月間は水を得た魚の如く、やりたいことをやり癌のことに意識もせずに過ごしていた毎日、周りから「大丈夫なの?」そう言われて「あぁそうだった、私は癌だった」っと思い返すくらいで(笑)
3ヶ月経った頃、病院から一本の電話・・・。それは看護師さんからでした。
「お元気ですか?術前の検査もキャンセルされた状態で放置されたカルテを見つけて心配でお電話しました。私たちは患者さんを見放すようなことはしません」
何度となく、看護師さんが連絡をくれお話しました。
そして、「別の先生を探したので、もう一度チャンスと思って来院してください。」
大きな病院で様々な患者がいる中で、こんなにもしてくださる方がいるんだ・・・私の心に温かさと希望が蘇り、3ヶ月ぶりに行った病院で出会ったのが今の主治医となるわけです。
そこから、改めて検査がスタートしました。
これまで、エコー検査だけだったので、CT、MRI胸の痛みの原因を一から追求してくださいました。
今回の記事は、喧嘩別れのようになった元主治医の判断や、人間性を決して否定するのではなく、この経験は全て必然だったことと今は思えて感謝しています。
この「がん笑病記」は闘病日記ではありません。
私の経験で誰か一人でも笑顔になってお役に立てれば嬉しいと思っています。
今日は2023年のクリスマス、私は無事クリスマスには退院して自宅に帰って来れました。院内は素敵なクリスマスツリーや教会でのコンサートを楽しませてもらいました。
最後までお読みくださってありがとうございます。
1年3ヶ月を無治療で経過し判明した胸の痛みとは!!
次号に続きます。
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