私は彼のことを最近知りました。私が日本初のチャレンジに向かっている今、「こんな人がいたんだよ」っと友人から伝わりました。
でもそのタイトルは栗城史多さん!「最後のエベレスト挑戦」映像。
「最後の」というタイトルに私は違和感を覚えながらこの映像を見て彼の最後を知りました。私はその後に彼のチャレンジによって伝えたかった「何のために」を知るという何とも考えさせられる流れでした。
私は想いを伝え続けようと誓う
誰にもやったことのないことへの挑戦は想像もできない困難や不安があったと思います。それは今、私がチャレンジしているからこそよくわかります。
あまりに彼の伝えたかったことと私の伝えたい思いが同じで正直驚きました。
誰もがチャレンジした先の風景を楽しみに応援したことでしょう。私も同じようにチャレンジした先の風景を仲間と共に見たいと思っています。
死んではいけない・・のか
いろいろ記事を読み漁っていくと、死んでしまった人間の真実は明らかにされないまま、様々な批判が出てきました。
「君のこだわりは何だったんだろう、死んでは意味がない」。
「死んではいけない」「登らされて死んだ」。
だけど、私は思います。彼自身は意味がないことはなかったと思います。誰かに登らされてチャレンジしたのでもなく、その道を後悔することもなく、チャレンジした先のエベレストで命の終わりが来た、彼の人生のこだわりは全うされたのではないでしょうか?
何かを成し遂げる人間は成功するまでは批判
今、私も癌を抱えながら一年後のチャレンジに向かっている中、様々な意見をいただきます。
「癌を治療してから行ったらいい、ちゃんと元気になってからまた4年後にチャレンジしたらいい」「命を大切にしているとは思えない行動だ」。
私は何も言いません。人には色々な価値観があって、何が正しいという正解はありません。命に関してどんなに守ってくださっても誰も私の病気とは変わってもくれません。
誰に相談したって反対されることをわかっている
私はこのチャレンジは5年の歳月をかけてやっとあと一年のところまできました。それまでもたくさんの壁はありました。
しかし、私はこのチャレンジの途中に「癌」が発覚しました。確かに治療を済ませて元気な姿で行くことはベストだと思います。チャレンジの途中ではなかったらすぐに治療をしたかもしれません。
でもね、治療をしたから元気で行ける保証もない。命に絶対はないから自分の後悔のないように生きよう。
私が絶望の底まで落ちなかったのは「この挑戦」があったからです。
人は誰しもいつしか死んで行きます。だからこそ残された時間に絶望している時間すら「もったいない」と思えたのです。
私はこのチャンスを絶対逃さないし、逃せません。
何のために「走る」
今回、栗城さんのことを知って私は自分に誓いました。
「私は栗木さんの分まで生きて、失敗への恐れや否定という心の限界を打ち破り、この後何かに挑戦する人、挑戦しようとしている人へのバトンを渡していきます」
否定や諦めという偏見をなくすこと
チャレンジには失敗も挫折たくさんあります。だけど、一番足が止まるのは自分自身の心に負けた時です。どうか、応援しあえる世の中に色々な価値観を認め合い、命の時間を少しでも争いのない世の中になることを願っています。
栗城さん!見てて!あなたの伝えたかったこと、私は生きて伝えていきます。 合唱
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